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調べて見ました。

 投稿者:琉球国  投稿日:2008年 4月30日(水)21時20分15秒
  こんばんは、佐賀の@nkouさん

家紋の奏を観覧致しました。
桔梗の丸紋章を調べて見たら、ちゃんと有りました。
感激です。
↓こちらと、同じ家紋でした。

http://p2.ms/6qfb5

http://p2.ms/1/?kaimu

 

ようこそ 琉球国さん

 投稿者:佐賀の@nkou  投稿日:2008年 4月30日(水)09時17分29秒
  大草一族にも 桔梗の家紋を持つ者がいまして
ルーツをたどるには 代々大切にする家紋も大きな要素を持つものですから
ここのHomePageにも 大草家の家紋のページがあるのです

桔梗の紋の お調べでしたら ↓の 家紋の湊を参照されてはいかがでしょう

http://www.otomiya.com/kamon/plant/kikyo.htm

 

桔梗の家紋を調べていたら。。。

 投稿者:琉球国  投稿日:2008年 4月28日(月)21時51分36秒
  こんにちは、沖縄県から書き込み投稿します。

桔梗の紋章(家紋)を調べていましたら、このHPを知りました。
何か?繋がりがあるのでしょうか?

http://up2.jp/4p6fkxg45a

 

Jimiさん 有り難うございます

 投稿者:佐賀の@nkou  投稿日:2008年 4月15日(火)09時34分52秒
  以前、佐賀に 大草流料理教室があったことは承知していますが

佐賀新聞の文化教室に 始まったことは知りませんでした

今度、よく調べて 井上先生に連絡がとれたらと思っています
 

大草流料理教室が佐賀にある

 投稿者:jimi hendrix  投稿日:2008年 4月 9日(水)14時07分11秒
  はじめまして。
佐賀新聞社で、井上先生が料理教室を
なさっています。
お問い合わせ先”大草”
大野城市若草2丁目3−12
TEL:092−596−8188

http://sayekogoodsrami.dokyun.jp

 

(無題)

 投稿者:ポケモンゲットだぜ  投稿日:2007年12月 4日(火)03時15分16秒
  大草です(笑)すごいですね。大草と調べると小学校から病院まで沢山インターネットで検索することができるとは・・・日本に生まれてよかった。。。
葉書来ますよね。毎年。。。
 

【大草氏のルーツ】佳境に入る

 投稿者:@nkou  投稿日:2007年 3月 1日(木)16時06分8秒
  Megさんのご努力で、全国各地の大草家が明らかになってゆくのを楽しんでおります。

中国地方の大草氏のルーツは、 別項として整理しました

全国一の大草家の集落、佐賀県唐津市の佐里集落に住まいする大草家の運命に、固唾を呑んで見守っておりまする。

http://www.ookusa.net/roots/reports.html

 

中国地方の大草氏のルーツ(補足)

 投稿者:meg  投稿日:2007年 2月18日(日)23時27分51秒
  以前中国地方の大草氏は阿波徳島の大草氏が移住した可能性が高いのではないかとの仮説を立てました。簡単にリピートとしますと、阿波の守護職であった小笠原氏に小笠原との姻戚関係の縁で仕えていた大草氏が居て、1281年の弘安の役(元寇)勃発で小笠原長房の次男(長規)が博多に出生し武勲を立て、鎌倉幕府北條執権の論考行賞で石見の国(島根県)の邑智(おおち)郡を賜り、そこに移住し、後に尼子に仕え、更に毛利に仕えてます。

その時小笠原長規に連綿と従い島根に移住した大草氏が居て、その後も小笠原氏に何代かにわたり毛利氏にまで仕えて行った大草氏が現在の中国地方の大草一族の祖先ではないかとの仮説を立てたと思います。

今回越前島津の存在を知り、その軍門にくだり島津氏に仕え、その後越前島津氏が播磨に国替えとなった際、島津に従い越前から播磨に移住した大草氏が居た可能性も十分ありえる話で、そうなると、中国地方の大草氏は上記の阿波徳島を出自とする大草氏だけではなく三河ー越前ー播磨ー中国移住となった大草氏が別に存在するとの仮説が別に立てられられるのではないか言うことです。

以上でこのホームページが開設されてから約3年間、各地の大草家の発祥の流れを見てきましたが、私の中では、1221年の承久の乱で三河で足利氏の軍門に下る以前の大草氏のルーツの問題と
佐賀県相知町佐里の大草一族(@nkouさんのご先祖)のルーツを除いて、概略三河の大草氏に繋がる系統の仮説が整理できたように思います。次回は各地の大草氏が三河をルーツとしていることの仮説の整理をしてみたいと思います。
 

薩摩島津藩に仕えた大草氏の謎(その7)

 投稿者:meg  投稿日:2007年 2月13日(火)16時21分41秒
  越前島津氏が越前から播磨へ国替えになったのは下記URL(播磨島津氏)によれば1279年であり以後1575年までの296年間播磨に存続したようである。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ha_simazu.html

この国替えによる島津氏の移動で越前大草一族の誰かが同じく播磨に移動したことも十分考えられる。そして越前島津氏も南北朝の戦いでは足利尊氏に仕えており、薩摩の島津氏も同様に尊氏に味方しており、この足利尊氏軍側の島津軍の中に大草氏がいたことは太平記記載の1348年の四条畷の戦いで戦死した大草公経(きんつね)が記載されていることから想像できます。

よってこれらの南北朝の戦以前に三河から越前に行った大草氏が1221年の承久の乱の論考行賞で薩摩から越前を与えれた島津氏の軍門に下った確率は高く、その大草氏が現在の宮崎県都城市(旧薩摩藩)の大草氏の祖先ではないかと以前よりはより確かに推定しているところです。

一方播磨島津家に従っていた大草氏が居るとすれば、中国地方の大草氏との関連も否定できなくなります、これについての推論はじかいにつづきます。
 

薩摩島津藩に仕えた大草氏の謎(その6)

 投稿者:meg  投稿日:2007年 2月 7日(水)22時29分50秒
  さて(その5)では「薩摩島津藩に仕えた大草氏の謎」の話から横道にそれましたので元に戻します。

1221年の承久の乱の論考行賞で越前の守護職も手中にした薩摩の島津忠綱の統治期間は1278年までの僅か57年間である。しかし福井県史【若狭の奉公衆:大草氏】を観ると1278年以降島津氏が播磨(兵庫県)に国替えになった後にも大草氏は越前にも存在した記録がある。

このことは越前の大草氏は一部が越前に残り、一部が島津氏に従い播磨に行ったのではないかと思われる。三河の大草氏も一部が三河に残り一部が地方に散ったようである。

それにしても本来朝廷側の大草氏は承久の乱で領地は足利、島津に没収されたとしても命が奪われていないことが不思議である。このことは恐らく承久の乱では積極的に朝廷(後鳥羽上皇側)に加担しなかったのでないだろうか?

余談ですが、事実承久の乱のおり朝廷に仕えていた西園寺公経(きんつね)(1171〜1244)は後鳥羽上皇の鎌倉幕府倒幕計画を諌め、聞き入れられずに逆に幽閉され,その間密使を鎌倉幕府北條義時に送り、朝廷の不穏な倒幕計画を伝えたといわれ、そのため承久の乱後は鎌倉北條氏と緊密に成り、娘婿の藤原頼経を執権北条泰時の鎌倉将軍として送り込み、その後は朝廷でも絶大な権力を握って最高位の太政大臣となっている。その後一定期間は朝廷では藤原氏でも摂関家でない西園寺家が勢力を伸ばしている。

そして西園寺家には名前に「公」と名の付く人が多い、一方徳川寛政時代(1789年頃)に作られた系図集(寛政重修諸家譜)の大草氏系図では、小笠原氏支流でない大草氏(藤原氏支流)には同じく「公」と名の付く侍が多く掲載されており、どうも大草氏は藤原氏でも西園寺家の流れではないかと勝手に推測しているところである。次回では越前から播磨に国替えになった島津家からそれに仕えた大草氏を推察することにします。つづく
 

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