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この島津藩に仕えた大草一族の末裔で現在このホームページに登録参加しているのは、北九州市在住の満州雄氏、大阪狭山市の久夫足氏、私(仁)ですが、一族の本拠は旧薩摩藩の都城(現在の宮崎県)、そう、今回宮崎県の知事に当選した そのまんま東氏の出身地都城市です。
現在都城市の島津家史料館には家臣の系図が残されており、その大草家の系図の書き出しには「何某代より御家に参り御奉公仕り候や相知れず」と記されてい増す。何某代とは大草家のことか、島津家のことか分りませんが、要はいつ頃から島津家に仕えたのか不明ということでろう。
それに続いて、大草宮内左衛門という人が「慶長5年(1600年)9月15日に関が原の乱の節戦死仕り候」と書かれ、江戸末期までの系図が残されています。
そして三河で発祥した大草家の家紋(琴柱に松皮菱)が付いた刀の鍔を今でも私が所持しており、どのようにして、どのような理由で愛知三河の大草氏が関門海峡を越えてはるばる九州の果ての薩摩島津藩に来たのか、この謎が今回のテーマです。つづく
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