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ーモンテンルパの石の下ー
先ほどの追悼式の最後で一人のご婦人が突然泣きながら草の上に座り込んで、誰はばかることなく「おとうさ〜ん!早く私を呼んで下さい、私も一緒にここに眠らして下さい」と亡きご主人に向かって声を限りにさけばれた,それに釣られるよう、一人のご老人が「息子よ〜父さんだぞ〜」といって嗚咽され、想いは皆同じ遺族の心である、あちこちですすり泣きが聞こえ私も堪えきれなくなった。
それから全員バスに乗り、ルソン島最大の湖であるラグナ湖の沿岸を走り、カルンパンに差し掛かると、ここは山下将軍の処刑された地であるとの案内があった。そして間もなくモンテンルパに到着し、かって日本の将兵が捕虜となり収監されていたニューピリビッット監獄の玄関前を通り広大な敷地を巻いて収容所の真後ろの日本人処刑者の墓地に着いた。山下将軍以下多くの将兵の方々がここに収容され処刑されたことを思うと胸が痛む思いであった。
処刑者の墓は50センチほどの高さの墓石が何十となく建てられていたが名前などは彫ってなかった。一つ一つのお墓に手分けして線香を手向けて回った。アジア解放という名の下に南方諸島に送られて戦死された同胞である。その方々は皆従容として死につかれたと思うと胸が締め付けられるほどである。
いかに思えども戦争は悲惨である。戦争こそ全人類の一大悲劇である。戦争は悪魔の仕業である
戦争を起こすのは軍隊でも武器でもない、それらは防衛のためには必要である。人間が物質欲、権力欲に狂ったとき他国を奪う猛獣と化すのである。そのような心が戦争を起こすのである。今こそ人類愛をはぐくむべきである。
モンテンルパでの追悼を終え次にケソン市に到着した。そこの中華料理店で一同昼食を済ませ12時50分に再び出発して、ワンダムの下流にある2カ所の洞窟に到着した。かって日本軍の防空壕であったらしく、終戦時にはここに多くの日本兵の遺体があったという。ここでも追悼式が行われた。
伊東団長のお話では、ここを中心に数十キロの範囲がマニラ東方山岳地帯と言われ、日本軍のルソン島3大拠点の一つであったとのこと、横山中傷以下7万5千の将兵が3月〜6月まで圧倒的に優勢な米軍に抗して戦い続け全滅したとのこと。話によれば、この山奥にはまだ沢山の白骨が散乱しているが、余りにも険しい岩山を超えねばならぬので、遺骨収集団も行けなかったとのことである。
思えば必死となれば常識では考えられない気力と体力を振り絞って、自分の体をそのような人跡未踏の場所にまで運んだのである。巡礼の旅も今日で4日目、ここが巡拝最後の地点なので心の中で宮崎県ご出身の戦没者と知人の鹿児島県の伊集院守様の遺族のご冥福を山に向かってお祈り申し上げた。
続いて「海行かば」の歌声が岩に浸み入り歌声はすすり泣きに変わった。一人のご婦人はお子さまの結婚式の写真を高く掲げて御霊にかざしておられた。女手一つでお育てになったのであろう、哀れな妻の姿を自分に重ねて思われた。又一人の青年が「おとうさ〜ん、僕だムネチカだよ〜」と叫ばれ泣きながら岩にしがみつかれた。このようにフィリピン最後の追悼式は心ゆくまで厳かに行われた。つづく
http://www.ookusa.net/roots/report-06.html
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