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なおこのリンガエ湾の北のサンフェルナンドは西山中将率いる旭第23師団が、花牟礼軍医大尉指揮下の第4野戦病院と共に、昭和19年12月18日に門司港を出て以来、多くの将兵と船舶を敵弾で失って、日本最後の船団として13日目の12月30日にかろうじて上陸したところである。
その中に軍医中尉大草繁光も居たはずである。一方マッカーサー率いる大連合軍がここサンフィビアン海岸に上陸したのは昭和20年1月9日だから、それに先立つこと僅か11日前に運良く海難を逃れて上陸した時は既に敵の大軍が背後に迫っていたのである。第23師団は蛇に睨まれたカエル同然に時の戦況はの大勢は既に見通しがついていたのではないだろうか。
それなのに一億総玉砕などと民族の滅亡への戦いのために。むざむざと犬死にするために度比させられたようなものものではなかったろうかとの思いがよぎり23年も昔のことが昨日のように思い出され、胸の痛むような怒りさえ覚えるのである。
しかし絶対そうではないと思い、異国の地で苦闘の果てに戦傷病者の方々と共に死んだこと、それが夫の使命であり運命だったのだ。夫は独りぼっちではないこの地で何十万の方々と一緒なのだ。信義に篤かった夫は今もきっと霊界で情け深い軍医として皆様のお役に立っているに違いない、こう思ってふと我に返りやっと平常心に戻れるような気がした。つづく
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