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日本全国で数の多い神社は八幡宮(八幡さま)と天満宮(天神さま)ですが、
八幡宮は大分県の宇佐八幡宮を本宮として京都府の石清水(いわしみず)八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮が3大八幡宮として有名です。
もっとも鶴岡八幡宮は、源氏興隆の祖、源義家(八幡太郎)が石清水八幡宮で元服した由来から、その後鎌倉幕府を開設した源頼朝が源氏の繁栄を祈念して石清水八幡宮から分祀して建立したと伝えられています。
一方天満宮は、右大臣菅原道真を太宰府に追いやった藤原氏が、その後京の都に天災疫病が頻発し藤原氏の親族も病死したため、道真追放の祟りと恐れ、道真の霊を鎮めるため建立したのが京都の北野天満宮(本宮)であることは有名です。福岡の太宰府天満宮、東京湯島天神、大阪天満宮は有名です。
前置きが長くなりましたが、北野天満宮に奉納されている36歌仙と同じ絵図が小牧市の大久佐八幡宮にもあることがおかしいというか、謎ではないかということです。天満宮と八幡宮は本来全く違う神社なのに同じ36歌仙の絵図が奉納されているのです。
本来八幡宮系の神社に奉納されている絵は馬上に鎧、兜を付けた源氏の武者姿です。
それが小牧市の大久佐八幡宮はちぐはぐなのです。明治時代初期に36歌仙の絵図は奉納されたとの解説ですが、元々大久佐八幡宮は天満宮系の神社だったから36歌仙絵図が奉納されたのではないでしょうか?
大草氏は藤原氏系ですから小牧の大草城址に大草氏が居たとすれば、その頃小牧の大久佐神社は天満宮系の大草神社であった確率が高いと推定出来ます。その名残が言い伝えられ北野天満宮と同じ36歌仙の絵図が明治時代に奉納された可能性があります。
では誰がいつ頃小牧の大草城を召し上げたのでしょうか?後醍醐展天皇と対立した足利尊氏は南北朝時代尾張、三河地区の守護職に同じ清和源氏の足利系の武将を多数配置しています(例:仁木氏、斯波氏、細川氏、吉良氏、今川氏等)その頃小牧の尾張地区は斯波氏が守護職で、織田信長の祖先織田氏が守護代として斯波氏に仕えていたようです。
もしかすると斯波氏が織田氏に命じて大草城を召し上げ、天満宮系の大草神社を源氏の氏神として大久佐八幡宮に改名した仮説も十分成立する可能性があるような気がします。
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