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相撲記者・大草弘喜

 投稿者:門脇  投稿日:2006年 5月18日(木)18時12分40秒
   相撲記者の歴史を調べています。
 中外商業新報(現日本経済新聞)相撲記者で、大正14年ごろに若くして亡くなった「大草弘喜(もしくは弘基)」記者についてご存じありませんでしょうか。
 東京・墨田区両国の回向院にある相撲記者碑に名前が彫られているのですが、正確な没年月日、享年などが分かりません。ご存じの方、いらっしゃいますか?
 

小牧市大久佐八幡宮神社の謎?

 投稿者:meg  投稿日:2006年 5月12日(金)23時01分16秒
  日本全国で数の多い神社は八幡宮(八幡さま)と天満宮(天神さま)ですが、
八幡宮は大分県の宇佐八幡宮を本宮として京都府の石清水(いわしみず)八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮が3大八幡宮として有名です。

もっとも鶴岡八幡宮は、源氏興隆の祖、源義家(八幡太郎)が石清水八幡宮で元服した由来から、その後鎌倉幕府を開設した源頼朝が源氏の繁栄を祈念して石清水八幡宮から分祀して建立したと伝えられています。

一方天満宮は、右大臣菅原道真を太宰府に追いやった藤原氏が、その後京の都に天災疫病が頻発し藤原氏の親族も病死したため、道真追放の祟りと恐れ、道真の霊を鎮めるため建立したのが京都の北野天満宮(本宮)であることは有名です。福岡の太宰府天満宮、東京湯島天神、大阪天満宮は有名です。

前置きが長くなりましたが、北野天満宮に奉納されている36歌仙と同じ絵図が小牧市の大久佐八幡宮にもあることがおかしいというか、謎ではないかということです。天満宮と八幡宮は本来全く違う神社なのに同じ36歌仙の絵図が奉納されているのです。

本来八幡宮系の神社に奉納されている絵は馬上に鎧、兜を付けた源氏の武者姿です。
それが小牧市の大久佐八幡宮はちぐはぐなのです。明治時代初期に36歌仙の絵図は奉納されたとの解説ですが、元々大久佐八幡宮は天満宮系の神社だったから36歌仙絵図が奉納されたのではないでしょうか?

大草氏は藤原氏系ですから小牧の大草城址に大草氏が居たとすれば、その頃小牧の大久佐神社は天満宮系の大草神社であった確率が高いと推定出来ます。その名残が言い伝えられ北野天満宮と同じ36歌仙の絵図が明治時代に奉納された可能性があります。

では誰がいつ頃小牧の大草城を召し上げたのでしょうか?後醍醐展天皇と対立した足利尊氏は南北朝時代尾張、三河地区の守護職に同じ清和源氏の足利系の武将を多数配置しています(例:仁木氏、斯波氏、細川氏、吉良氏、今川氏等)その頃小牧の尾張地区は斯波氏が守護職で、織田信長の祖先織田氏が守護代として斯波氏に仕えていたようです。

もしかすると斯波氏が織田氏に命じて大草城を召し上げ、天満宮系の大草神社を源氏の氏神として大久佐八幡宮に改名した仮説も十分成立する可能性があるような気がします。
 

関連リンク集へのアクセス

 投稿者:meg  投稿日:2006年 5月 5日(金)17時26分38秒
  本日気がついたのですが、@nkouさんに「大草棒の手」、「大久佐神社」を関連リンク集に
追加して貰っています。未だ観ておられない方はアクセスの価値有りです。

大久佐神社は小牧市にあるようですが、大草城址も小牧市の郊外にあります、また小牧市の大草地区は愛知県内でも一番広域ではないかと思います。

そして大草棒の手は大久佐神社の秋祭りに奉納されているようです。
ここで気になることは大草という地域にあるのに何故「大久佐」神社という当て字なのか?
不思議です。大草城を滅ぼした時の為政者が、神社本体まで破壊するのは憚り
「大久佐」に改名したか、神社再興に際して「大久佐」にしたのではないかとの疑問です。

一方大久佐神社に36歌仙の歌と姿図が奉納されているようですが、先般京都の北野天満宮(全国の天満宮の本宮)に観梅に行ったところ、同じような36歌仙の絵と歌が奉納されていました。
 

こちらでも 宣伝

 投稿者:ankou  投稿日:2006年 4月11日(火)05時05分47秒
  2月の 関西地区の集会の模様を ↓のページに
「活動日誌」として 掲載しました

http://www.ookusa.net/roots/katsudou.html

 

無題

 投稿者:meg  投稿日:2006年 4月 7日(金)12時57分25秒
  @nkouさんへ
遅くなりましたが、昨日2月の関西懇親会の集合写真と新規ご参加の康弘氏、実氏の写真を郵送しましたのでHPへの編集掲載お願いします。
尚康弘氏、実氏の個別写真はフラッシュのセットを忘れ撮影失敗しましたので、総一郎さんより
2名合同写真を提供戴いたものです。

九州大会が開催されればもちろん参加しますし、北海道にも行きますよ。地域ブロック大会がそれぞれ立ち上がればいいですね。

宮崎の大草さんへ
@nkouさんが言われるようにニックネームをお願いします。
日向カボチャか、芋がら木刀でも?(笑い)
誤字はワープロソフトの性にして気にしないでくださいよ、
小生も珍字、当て字の常習犯ですから。

ところで日ユ同祖論なるものがあるとは初耳でした、
ここまで来ると想像も出来ませんが、ユダヤ人の三種の神器の話では、
何やら10年ほど前の映画「インデイージョンズ」の聖なる盃でしたか?、
ハリソンフォード?ショーンコネリー主演の考古学者の映画を想い出しました。

一方出身地が都城で安堵しました。都城以外には有り得ないと思っていましたので・・
ところで現在都城市内で大草家の墓地は12カ所に分かれてそれぞれ次の方が管理者になっておられます。

大草健太郎氏(以下姓は省略)、盛夫氏(故人)、武次郎氏、満州雄氏(北九州氏在住)、満氏、
重高氏、廣美氏、純男氏、幸信氏、安氏(故人)、重清氏(故人?)→清水みほこ氏、仁(私)

上記の墓地は安氏の管理墓地は南墓地、仁の管理墓地は西墓地、他は川東墓地だと聞いております。
言われるように歴史も古いので分家が多く現在どこが宗家なのか私には定かでありませんが、当会に参加の満州雄氏や、久夫氏の情報を総合すると、廣美氏宅が宗家ではないか?と思われます。
小生も子供の頃本家は川東にあると母から聞かされていましたから、当家も分家(冷や飯組:笑い)に違いありません。

ところでもう一つお尋ねですが、これまでに大草家に伝わる刀剣類は観られたことはないでしょうか、現在小生は刀の鍔を所持していますが、どなたかお持ちであれば照合してみたいと思っています。それには琴柱に松皮菱の家紋が彫られています。

琴柱のデザインも現代の琴に使用されているデザイン(HPに掲載)とは違い、ずんぐりむっくりで素朴なデザインです。それと最近気がついたのですが鍔の文様も、関東武士の虎や龍の勇ましいデザインではなく、川面に流れる紅葉の文様で琴柱と併せ観ると、いかにも公家貴族の藤原氏系の侍の家系らしく風流な鍔のデザインに思われます。以上長くなりましたが何か情報がありましたらよろしくお願いします。
 

良かったね megさん

 投稿者:ankou  投稿日:2006年 4月 6日(木)16時22分26秒
  宮崎ー都城の 親戚が また一人増えて!

都城の大草さん はじめまして 佐賀の@nkouです
当然ですが ここは 大草さんばかりなので 何か 良いニックネームを考えてください

関西に負けずに 九州大会もやりましょう!
その時は、帰省するよね megさん!
 

どもども。

 投稿者:大草  投稿日:2006年 4月 6日(木)12時12分48秒
  のっけから誤字打ってしまっているのに今気が付きました(笑
生まれは都城なんですが、ここ20年くらいは宮崎市に居を移しています。
聞いた話じゃ都城大草家は元は一つなんですが、
うちはその分家の一つらしいです。
いわゆる、家督相続全盛期の冷や飯食いの一派ですね(笑

「子連れ狼」という漫画がありますが、その中で柳生が放つ「草」と呼ばれる里入り忍
(地元に根付いて諜報活動をし諸藩の動向を柳営にリアルタイムで報告するスパイ)の
存在が書かれていて、その機密文書の一部で草の頭領の名前が「大草」と出てきます。
所詮漫画なのですが、それ以来私の頭のなかでは大草家の先祖は007かゴルゴ13のような、
決して目立ちはしないが時代の裏方で大活躍してました。みたいな感じです。

それはそうと、家紋にまつわる話は、ユダヤ研究家の友人から指摘を受けたものなのですが、
いわゆる3種の神器の一つ「マナの壷」が原型ではないのか?とのことでした。簡単に述べると、
渡来人(ユダヤ10氏族のうちのセム系ユダヤ人)が日本(神武天皇の頃)建国する際、
在来倭人を駆逐制圧していくすなわち国の形課程の中で生まれた指揮系統、法・武力・食料
の「食」を司るセクションの長が「大草」ではないだろうか。と言うことです。
ユダヤ人の三種の人器というと、石版・アロンの杖・マナの壷ですから、家紋として
そのマナの壷を許されたのか、後年それを知る人が名残として用いたではないかと。まあ、
有史以前の話まで遡るのではっきり言ってわけ分からないのですが、
面白いなあ。と感心しました。
 

歓迎!

 投稿者:meg  投稿日:2006年 4月 5日(水)23時28分1秒
  宮崎の大草さん初めまして、現在神戸市在住の仁(メグム)と申します。
ご参加いただき有り難うございます。

現在この大草氏のルーツ探索会に宮崎県都城市(旧薩摩藩)出身者が私を含め3人居ます。
あなた様もご先祖は都城ではないかと想像しますが差し支えなければご紹介下さい。

現在の3名は互いにこの会が取り持つ縁での知り合いで、
それまで互いに全く知りませんでした。
その後ルーツの情報交換で都城の祖先をたどれば
明治時代には祖先が繋がることも判明しました。

ところで、大草家の家紋と歴史に新説をお持ちの様ですのでご投稿を期待しております。
 

琴柱は果たして琴柱なのか?

 投稿者:大草  投稿日:2006年 4月 3日(月)11時47分19秒
  始めまして宮崎の大草です。
題名に書いてますが家紋の琴柱は琴柱ではないような気がします。
その他、大草家の歴史(断片的且つ謎だらけで・・)は「日ユ道祖論」で検証すると整合性が取れることばかりのようなのですが、まだちょっと研究中です。今後とも宜しくお願いします。
 

総一郎さん

 投稿者:meg  投稿日:2006年 2月22日(水)18時23分34秒
  どさん子は冬が長くて厳しいですから、気が短くて
何よりも春を待つ気持ちはつよいですから
早く調査お願いしますよ、
桜の花のシーズンも徳島より北海道では約1ヶ月半遅れですから、徳島の花暦でね。
 

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