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大草家住所ランキング

 投稿者:大草 茂(宏之)  投稿日:2018年 7月20日(金)23時53分25秒
  インターネットを検索していると、大草家住所ランキングの情報がありましたので、お知らせします。
1.佐賀県唐津市佐里        約90人
2.長野県上水内郡信濃町大字平岡  約60人
3.徳島県名西郡神山町阿野字五反地 約50人
4.栃木県宇都宮市石那田町     約40人
5.長野県佐久市望月        約40人
6.島根県太田市三瓶町志学     約30人
7.山口県長門市三隅下豊原     約30人
8.宮崎県都城市下川東       約30人
9.静岡県浜松市高林        約20人
0.静岡県周智郡森町飯田      約20人

1.は安幸さんのところであり、3.は私と総一郎さんのところであり、4.は旧喜連川藩家老大草家の関係先であり、6.と7.もたぶんルーツは同じであり、8.は仁さんの実家です。
2.と5.も同じルーツかも知れませんし、9.と10.は江戸大草家がルーツでしょう。

 
 

都城島津家に仕えた都城の大草氏について

 投稿者:meg  投稿日:2018年 4月15日(日)15時05分45秒
編集済
  今年のNHK大河ドラマは原作者林真理子氏の、「西郷(せご)どん」ですが、鹿児島では敬称には殿と様がなまった(どん)と(さー)があり、西郷(さいごう)さーと呼ぶ人もいます。ドラマでの鹿児島弁の使用率は約30%くらいでしょうか。100%にして字幕で標準語を流せば、もっと鹿児島の臨場感と迫真性が伝わる様に思う次第です。

ところで宮崎県都城市は明治の廃藩置県までは薩摩島津藩のなかの都城島津藩でした。源頼朝が鎌倉幕府を開き,南九州の最初の守護地頭に任じたのが島津忠久で、最初に居を構えた場所が都城と言われています。そのような関係で現在でも都城島津邸は保存され隣に資料館もあります。

そして昭和48年に宮崎県での植樹祭に昭和天皇と皇后が来られた際には、皇后が島津家出身のため、都城島津邸に宿泊され,今でもその部屋が保存されています。

前書きが長くなりましたが、以下に都城島津家に仕えた大草氏について紹介したいと思います。現在都城市には14家の大草家があります、全家の家紋は琴柱の中に松皮菱と言われる紋様で、大草一族のホームページ表題下の右端の家紋です。余談ですが、表題上の左端にも似た家紋がありますが、こちらは琴柱に三階菱です。松皮菱と三階菱の違いですが、ある時家紋を調べていたら三階菱は小笠原家の家紋であることが分かりました。

資料によれば大草家は足利時代に源氏の支流の小笠原家から婿養子を迎えた歴史があります。おそらく源氏主流の足利幕府の中で藤原支流の大草家が生き抜くための政略婚姻だったと推察されます。これがなければ江戸徳川幕府での旗本大草氏も存在していなかったのではないでしょうか。その時に松皮菱を小笠原氏の家紋の三階菱に入れ替え、両家の家紋も合体させたものと想像できます。いわゆる小笠原支流の大草家の誕生です。そして大草氏の始祖を藤原(中臣)鎌足と清和源氏の始祖清和天皇にする家系が現存するようになるのは大草氏と小笠原氏との婚姻が原因と推察します。

また余談が過ぎましたが、都城大草家に話を戻しますと、先ず都城島津家に伝わる島津家に仕えた諸家系譜の大草家系図によれば、次のような書き出しで始まります。

1、大草順右衛門二男家:大草段右衛門

・「何某代より島津家に参りご奉公仕り候うや相知れず」と記載されています。

2、大草宮内左衛門

・慶長5年関ヶ原一乱(1600年)の節、戦死仕り候

3、大草弾右衛門

・忠能様大阪御出陣の御供仕り候

4、大草重政長左衛門

・久定様御代禄高三拾四石
(途中省略し徳川享保年間へ)

5,大草茂村
・享保九年(1724)年正月、久龍様江戸御参の節御供仕り候(江戸随行)
・同十六年(1731年)五月久珍様江戸御参りの節右同断

(以上で家系図は途切れています)。

・また20年ほど前に島津家資料を管理しておられたk氏の文面では宝暦年間(1751~63年)に大草善助が江戸で没した久般公の遺骨を江戸から都城に持ち帰ったとの史料もあるとのこと。本来江戸で埋葬された遺骨は持ち出しできないしきたりがあり、何かコネがないと不可能と不思議なようすの内容でした。

*以上の系図内容について小生の個人的な推察を付加すれば

・1の、「いつ頃から大草家が島津家に奉公したか不明とありますが」、小生も三河・越前の大草家がどうして九州の果ての島津家に仕えたのか永年の疑問でしたが、インターネットの普及がきっかけで大草一族の会がスタートできたのと同じく、正にインターネットを活用してそのことを調べている時に、承久の乱(1221年)の論功行賞で薩摩の島津忠綱(二代目)が越前(福井県)の守護にも就いたことが分かり、既に越前の一地域を支配していた大草氏がその軍門に降り、後に島津氏の越前撤収時に都城島津家に仕えたのではないかとの推察に至りました。

また同じ承久の乱の論考行賞で関東武士の足利氏は北条鎌倉幕府によって三河の守護職に任じられており、既に三河の一部を支配していた大草氏は足利氏の軍門に降り、奉公衆(足利幕府旗本)になったものと推察できます。その後に小笠原氏との姻戚関係が成立したのではないでしょうか。

・4に記載のように、都城島津家に仕えた大草家の禄高は34石です。因みにk氏によれば当時都城島津家は4万石で、家老が100石だったようです。

・次に6に記載の大草茂村が享年保9年(1724年)と16年に殿様の江戸参上にお供したことや、宝暦年間(1751~63年)に大草善助が江戸で没した殿様の遺骨を都城に持ち帰ったことなど、中堅の大草家がどうして江戸行きを命ぜられたか疑問がのこります。

・これは江戸徳川幕府に同名の旗本大草氏があって、越前の大草氏や三河の大草氏の同じ子孫で遠戚であることが既に理解されていて、何かにつけて旗本大草家とコネクッションが付けやすいためではなかったかと思われます。

・以上5のように都城島津大草家の系図は明治維新(1868年)の約100年の茂村で途切れています。

・1871年の廃藩置県で都城島津藩も消滅し、当然諸家系譜も記録されなくなり、明治維新以後は大草家も本家、分家の何家族かに別れ、禄も無くなり、手に職のない全国の武家士族の大半は生活が困窮し、武士の商法で失敗などして、塗炭の苦しさを味わったと思われます。
そのような中での成功例が静岡県島田市の茶畑開墾に尽力のあった旧旗本で士族の大草高重氏と言えるでしょう。

・現在都城には大草が14家ありますが、その殆どの家系に「茂村」の「村」を採った名が多く、通字に
なっているようです

・一方私が聞いている明治以後の都城の大草家の生き様は

・我が家の曾祖父村国は西郷隆盛が興した明治10年の西南戦争で23才で戦死、明治4年生まれの祖父村行は満州に渡り、軍人商売で財をなし、早めに帰国し、土地を買う一方で製茶業を興したが失敗し、戦後は不動産を売却しながら家族を養ったようです。

・詩人嵯峨信之(検索可能)(明治34年生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B5%AF%E5%B3%A8%E4%BF%A1%E4%B9%8B
(本名大草 実氏(故人)の祖父村治氏は剣の達人で西南の役に出征し負傷したが一命は取り留め、実氏は子供の頃剣道を教授されたらしい。父敬介氏(明治10年生)は都城で獣医を開業し、後年北海道に渡り獣医として公務員となり、帰郷して宮崎に初のカトリック教会を設立したと嵯峨氏の自分史に記載されています。

・大草一族の会員大草久夫氏の本家は2代に渡り医者で2代目の繁光氏(明治39年生)は外科医であったため、昭和20年初めに41才で軍医として3回目の招集を受け、戦況不利なフィリピンに行き、遺骨は帰ってこなかったとのことです。(睦子夫人:ルソン島にみたまを尋ねてより)

・また当ホームページに投稿されていた大草光介氏の家系にも、安政から明治のご先祖に都城大草家の通字「村」を採った、村盛、村二という方が居られ、明治以後の祖先には軍人や公務員がおられるようです。

・このように江戸時代まで武家であった全国の大草家は明治維新後は急に禄が無くなり、それぞれの苦難と努力があったものと思われます。その辺りのことを各々投稿頂ければ有り難いと思います。

・最後にNHKドラマの「西郷どん」を観ての今までの歴史認識についての感想ですが、島津斉彬が徳川家定将軍家に近づく根拠について、西洋文明をいち早く導入し、当時の海外情勢にも明るく、首席老中の安倍正弘に開国を働き掛けたような筋書きですが、海外文明と情勢に明るかっただけで外様大名の島津氏が攘夷派もいる徳川幕府中枢に簡単にお近づきになれたとは思われません。

・この時期首席老中安倍正弘と同じ老中に薩摩藩大草家と同族に当たる旗本大草高好の次男で久世家の養子となり、老中に登り詰めた久世広周(ひろちか)の存在は無視できないとおもいます。薩摩大草家と旗本大草家の関係から、島津斉彬も久世広周への近づきが不可能ではなかったはずであり、久世を通して外様大名の島津斉彬が幕府中枢の安倍正弘に接近できたなによりの状況証拠ではないかと大草家の子孫としては考察する次第です。

以下はウイッキペディアより抜粋。(久世広周で検索可能)
https://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A2RhYkWd_c1aOwcABjKJBtF7?p=%E4%B9%85%E4%B8%96%E5%BA%83%E5%91%A8&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=-1&oq=%E4%B9%85%E4%B8%96%E5%BA%83%E5%91%A8&at=&aa=&ai=jNkZi_5tSHqk6C6AG.CgLA&ts=31431

久世広周:江戸時代末期の大名。下総関宿藩の第7代藩主。関宿藩久世家7代。 旗本・大草高好の次男として生まれる。天保3年(1832年)10月1日、将軍徳川家斉に拝謁する。 嘉永4年(1851年)、老中として阿部正弘らと共に諸外国との折衝に当たったが、安政の大獄で井伊直弼の強圧的な処罰方針に反対したため、直弼の怒りを買って罷免さる。
                                    以上

 

わいわいガヤガヤ ルーツ探しの旅

 投稿者:大草 茂(宏之)  投稿日:2017年12月15日(金)21時11分45秒
   前項での根拠の一つは、現在に残る地名です。
1.及び2.項に関しては:
 愛知県額田郡幸田町大草
 愛知県小牧市大草
 愛知県知多市大草
 愛知県宝飯郡(豊川市)御津町大草
 (静岡県島田市大草)
3.に関しては:
 長野県上伊那郡中川村大草
4.に関しては:
 島根県益田市大草町

その他に:
 福島県石川郡浅川町大草
 福岡県山郡(みやま市)瀬高町大草

皆さんも、他にないか探してみてください。
 

わいわいガヤガヤ ルーツ探しの旅

 投稿者:大草 茂(宏之)  投稿日:2017年12月12日(火)21時13分32秒
   大草一族のルーツは一つに収れんすると言われていますが、私は四つのルーツに分かれるのではないかと考えています。
1.「大草公継」を初代とする一族:江戸幕府の旗本となる。
2.信州小笠原氏の末裔で三河大草郷に移住した一族:江戸幕府の代官となる。
3.信州高坂(香坂)氏と関係の深い一族:後北条氏の家来筋となる。
4.島根県益田市をルーツとする一族:後に大内氏の家来筋となる。

 各項目の詳細については後日送信します。皆さんも考えてください。
 

わいわいがやがや ルーツ探しの旅

 投稿者:大草 茂(宏之)  投稿日:2017年12月12日(火)20時57分42秒
   前にも断片的に送信しましたが、我々の徳島県神山町大草一族のルーツがほぼ判明しましたので、参考送付します。
 我々の12代前で初代の「大草作太夫」は1701年没と墓碑に刻まれています。このような江戸時代初期の平和な時代に、何故神山町に移り住んだのか不思議でしたが、以下の事実が判明しました。
 阿波藩3代藩主である「蜂須賀光隆」に、九州中津藩主である「小笠原長次」の娘「金姫」が嫁いでいます。1655年の婚姻として、長次は40歳、光隆は25歳、金姫は15~20歳、作太夫は(60歳没として)15歳となる。年齢的に見て作太夫は金姫が蜂須賀家に嫁いだ時に、これに同行した父又は叔父に随行した可能性がある。(大草一族は小笠原氏の家来筋であることを前提)
 光隆の弟である「蜂須賀隆矩(唯月と号す)」は、蜂須賀家の家老である「池田内膳」の養子となるが、この内膳には今の神山町に領地があり、隆矩が病弱であったため、この地に「唯月公別荘」を建て、養生したとの記録がある。以上のことから、神山町の大草一族(現在は12家)は、江戸時代初期に中津藩から阿波藩に移住し、上記別荘に滞在した金姫に随行してこの地に定住したことが考えられる。現在徳島県に居住している神山町以外の大草家(約20家)は、すべて神山町からの移住者となります。
 

わいわいガヤガヤ ルーツ探しの旅

 投稿者:大草 茂(宏之)  投稿日:2017年12月12日(火)20時13分21秒
  前回の総会で、総一郎さんから「全国大草一族の人脈図」が皆さんに配布されたと思いますが、最新版を作成しましたので、関心のある方は下記のメールへ送信して下さい。返信にて同資料を添付します。
hiroyuki2323@jcom.home.ne.jp
 

確認が取れました。

 投稿者:フリー編集者  投稿日:2017年10月 5日(木)16時32分18秒
  箱崎永田様

確かに確認が取れました。ありがとうございました。
 

 同田貫 追伸

 投稿者:箱柳永田  投稿日:2017年 9月29日(金)21時23分19秒
   すみません、文を書く前に送ってしまいました。
 興味ある内容ですので紹介します。
 同田貫 鍋割り の話の内容が、轡紋の由来の手助けになれば幸いです。
 
 

同田貫

 投稿者:箱柳永田  投稿日:2017年 9月29日(金)20時59分21秒
  http://privatter.net/p/1351281  

国会図書館で調べます。

 投稿者:フリー編集者  投稿日:2017年 9月29日(金)10時38分12秒
  箱崎永田様

国会図書館の蔵書の中に『平氏長田家大河のごとく』がございましたので、調べに参ります。
本当にありがとうございました。助かりました。
 

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